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案の定、一平の辞表を見た部長たちが激怒した。しかも、その日限りで退職したいと言うのだから怒るのも無理は無い。この会社だってギリギリの経営状況で余分な人員など一人もいないのだ。
それでも一平の心はすでに決まっていた。
なじられようと足蹴にされようと、翌日から撮影所に通う。実際、電話一本で退職を告げた同期入社もいたが、こういう場合、上司や同僚に頭を下げて回るのも人としての義務だと思った。
「わかった、もういい!退職金はもちろんだが今月の給料も無いからな!」
部長にそう怒鳴られて焦ったけど、なんの男一匹食べていくぐらいなんとかなるだろう。
一平は深々と頭を下げながらも、心は映画の世界へと飛んでいた。

東活映画株式会社は、かつて数多のスター俳優を抱え、アクション路線、純愛路線で日本の映画界をリードしてきた映画会社だ。
しかし、1960年台からのテレビの台頭により徐々に観客減が始まり、やがてスターたちも独立してテレビに活路を見出すようになって行った。
そして、急激に経営が悪化した東活を救ったのが、それまでキワモノ扱いをされていたポルノ路線だったのだ。
裸の若い女性さえ出しておけば別に大物俳優が必要なわけでもなく、とにかく制作費が安くて、しかも一定の集客が見込めるポルノは、東活の救世主でありドル箱ともなり、『東活ロマンポルノ』の名称で多くの作品が作られて行った。
この物語の舞台となっている1980年代になると、作品のマンネリ化やビデオデッキの普及に伴うAV(アダルトビデオ)の台頭もあり、急速に興業成績を落としつつあったが、それでも若い映画人が中心となって、それなりの活気を保っていた。

ロマンポルノ路線の功罪はいろいろあるだろうが、功績の第1は多くの若い人材を映画界に送り出したことだろう。
ポルノ路線は、粗製濫造と言えるぐらい多くの作品を送り出したが、それを賄うために東活が抱えていた助監督陣を、まとめて監督デビューさせた。
とにかく、エロでさえあれば内容なんか二の次のポルノ路線を逆手に取り、若い監督たちは好き勝手に冒険的、実験的な手法で映画を撮り、それらの作品群が一部ファンや批評家に評価された。後にそれらの若手監督たちが続々と一般映画を撮るようになり、いつしか日本映画界の中枢を担うようになっていた。
きら星のごときポルノ女優たちは、若さを武器に、しなやかな裸を見せまくって日本中の男たちに夢と希望を与えたが、何人かの女優はうまくポルノを卒業し、中には人気テレビドラマのレギュラーを獲得した女優もいた。
まあ、ほとんどの女優は頃合いを見て結婚するなどしてファンの前から姿を消して行ったが、ポルノ出演を芸能界入りのきっかけにしようとする、したたかな子も多かった。

意外と検討したのが男優陣で、ポルノ映画では女優の刺身のツマのような役回りでしかなかったのだが、個性の強い役者が多かったのか、やがて何人かは一般映画やテレビドラマに進出し、中にはヤクザや刑事の役で主役を張る者すら現れた。
多くのスタッフや俳優陣にチャンスを提供し続けた東活ロマンポルノは、1990年代にその幕を下ろすことになるが、日本映画界にいろんな面で大きな足跡を残したことは間違いない。
(ちなみに2010年、『ロマンポルノ復活』と名売って、かつて一世を風靡した『団地妻』シリーズなどが製作された)

一平は日給制のアルバイト扱いだったが、それでも『助監督』の肩書きが与えられた。
もっとも一平の仕事はフォースと呼ばれるポジションで、言ってみれば雑用係だ。
助監督はチーフからセカンド、サード、フォースと、はっきりしたヒエラルキーがあり、大作映画だとフィフスまで存在する。
チーフ助監督は副監督とも呼ぶべき存在で、映画の進行の一切を取り仕切り、撮影がスムーズに進かどうかはチーフの手腕にかかっていると言っても過言ではない。
タイトルクレジットで『助監督』として名前が乗せられるのは通常はチーフだけだ。
ハリウッドでは、『映画監督は素人でも出来るが、助監督(アシスタントディレクター)はプロフェッショナルでなければ勤まらない』という格言があるぐらいで、1流の助監督になると、監督よりギャラが高いことすらある。
(つづく)

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2011.09.24 Sat l 燃えろ一平!幻のデビュー編 l コメント (0) l top

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